一族結集して13名

 夏休みを一週間ほどとり、前半を自分の実家、後半を家内の実家で過ごした。家内の実家では、両親と3兄妹の家族が集合して、全員で13名となる。大賑わいで、たいへん楽しかった。戦後しばらくはこういう大家族はいたるところにあっただろう。一族で誰かが心身の病気になった場合、残る者で物質的、精神的にサポートすることができる。一方、核家族では誰かが病気すると、社会保障の充実していない日本ではサポートがたいへんだ。下手をすれば生活が立ち行かなくなる。大家族はプライベートがなかったりしてたいへんだろうけど、それ自体がセイフティーネットなんだな。隣近所とのお付き合いも似たようなもんだ。

化学のフロンティア

 サイエンスとしての化学にフロンティアがあるのか?だれもが思うような明白なフロンティアはないような気がする。
どうして癌になるのかとか、どうして星は生まれるのかとかは、明白なサイエンスのフロンティアだが、これらは医学・生物学のフロンティアであり、物理のフロンティアである。これらのサイエンスにおいて、化学は手段として貢献しうるだろう。しかし、化学そのものの明白なフロンティアはないような気がする。
 たとえば、有機化学は化学の花形だが、はたしてまだ見ぬフロンティアがあるのだろうか?反応メカニズムで考えれば、プラスとマイナスの反応、軌道どうしの反応しかない。
 フロンティアがないのなら、終わった学問として開き直って、テクノロジーとして社会的課題の解決に貢献すべきなのか。
 フロンティアがあれば誰か教えて欲しい。

垂れ流しのわがブログ

つれづれなるままに、一日の出来事や自分の考えをブログに書くのは、垂れ流しであり、恥ずかしいことではないのか、何かテーマを設定するべきではないかと思い悩み、ブログの更新を怠ってきた。漠然と考えてきたが、結論は得られない。ブログの利点は、ネットの向こうに見ず知らずの読者がいるという緊張感を感じながら、自分の考えをさらけ出すことにある。自分の考えを整理できるし、もしかしたら読者の方からアドバイスがあるかもしれない。テーマを設定した方が、読者とのマッチングが得られやすいかもしれないが、今のところそういうテーマを思いつかない。まあ、今のところ、垂れ流ししかできないので、仕方ないと思い直し、まめに更新をすることにした。

桂枝雀の語る生命の進化

 桂枝雀が好きである。努力家という気がします。彼がなんと「生命の進化」についての落語の枕を作っていました。とても面白い。授業で進化を教えるときに、僕が下手に教えるより、これを見せた方がよいかもしれない。
 よろしければどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=OMOVbTGhUJs
http://www.youtube.com/watch?v=Soty1Wt4p1A&feature=related

 桂枝雀が好きである。努力家という気がします。彼がなんと「生命の進化」についての落語の枕を作っていました。とても面白い。授業で進化を教えるときに、僕が下手に教えるより、これを見せた方がよいかもしれない。
 よろしければどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=OMOVbTGhUJs
http://www.youtube.com/watch?v=Soty1Wt4p1A&feature=related

ホワイトサイズ先生インタビュー

現代化学という雑誌の4月号に現在、もっとも有名な化学者の一人のホワイトサイズ先生のインタビューがあった。研究テーマの設定の仕方など示唆に富んでいた。特に私の印象に残ったのは以下の部分:
化学者が大きな問題に対処していないことです。物理学者はそうではありません。彼らは細部に渡って考えることも、壮大な構想をもって考えることも非常に良くやっています。でも化学者はますます焦点を狭くして仕事をしている。(中略)しかし、それは問題ではないのです。この惑星を安定な住みやすい場所にするすべてのプロセスを理解すること、それが問題なのです。

本当にそのとおり。我々化学者は蛸壺にはまり込んではいないか。

論文投稿

 年末から集中して書いてきた論文一つと、リバイズ一つを先週出し終えた。共同研究者である博士学生の完成稿を受け取ってから、それを決定稿にするまでに長時間を要した。彼はなかなか完成しないので、やきもきしたようだが、まあ仕方ない。
 論文を書くのにかかる時間は、経験を経れば短くなるだろうと思っていたが、教員暦9年が過ぎ、ちっとも実感として早くなっている気がしない。
 データはとっくに出来上がっているが、それから書き終わるのに数ヶ月を要する。今回の仕事をサイエンスの歴史の中に位置づけながら、新味を強調し、かつ無矛盾となるようストーリーを組み立てる。言ってしまえばこれだけの作業だが、遅々として進まずつらくなってくる。結果はあるのに、何でストーリーにこんなに時間をかけないといけないのか、しばしば馬鹿らしくさえなってくる。だけどこれがサイエンスなんだよな。

開墾者としての研究者

 一つの研究を終えるたびに、「ああ、また地続きで理解できる領域が広がった」という感慨がある。原野を一生懸命整地して、耕作地に変えるような気分であり、開墾者の喜びに似ているかもと思う。研究して出てきた結果の意味は最初はよく分からない。期待したことが起こっているかもしれないし、まったく別のことが起こっているのかもしれない。その結果を自分の知識と技術を総動員して解き明かすのは、研究者として一番の楽しみだ。意外な結果ほどおもしろい。