劣等感の克服

 先日、わが学科のG-COEのHPに私が書いたエッセイを掲載していただきました。以下にそれを転載します。タイトルは表題と同じです。

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 平成20年9月末から21年2月末の5ヶ月間、G-COEからのご援助で、アメリカのデューク大学に留学する機会をいただいている。今回、その中間報告をさせていただく。デューク大学アメリカ南東部のノースカロライナ州にあり、1838年キリスト教徒により設立され、その後タバコ産業で財をなしたデューク一族の寄付により発展し、現在、USNewsの全米大学ランキングで8位の総合大学である。私は工学部バイオエンジニアリング専攻、Chilkoti教授の研究室に所属している。私の専門は高分子とバイオマテリアルであるが、Chilkoti教授はその分野では有名な若手研究者である。海外出張という名目で来ている立場上、ポスドクとは異なり、自分で研究テーマを設定する自由を与えられている。現在、自分の背景とこちらの得意分野を融合したテーマ「融合タンパク質を用いる癌治療」に取り組んでいる。研究室のメンバーは遺伝子工学の技術をほとんど持たない私の疑問に対して丁寧に答えてくれる。しかし悲しいかな私の英語力では疑問が晴れることはない。そういうとき日本人コネクションは有難い。現地でできた友人、日本の友人からの研究に関する助言のみならず、精神的なサポートがなければ今ほど順調に滑り出すことはできなかっただろう。
 さて、渡米して2ヶ月ほどが経った今、考えていることを書いてみたい。英語ができないこと、アメリカは新しいものを生み出せる(invention)国であるというコンプレックスが当初私を覆っていた。近頃ようやくこのコンプレックスから開放されつつある。研究者として生きていく以上、英語はもちろん大事であり、生涯学習していくつもりであるが、そもそも母国語のみで授業が成り立つ日本の環境はすばらしいと思える。また、inventionが日本人の得意なimprovement(改善)に勝るという価値観は一面的な(主にアメリカ側の)ものと気付いた。なぜなら発展のためにはもちろん両者が必要であるし、実際に今の日本の発展の源はそこにあるのだ。特に、今後、資源の枯渇、環境破壊、食料不足、科学の停滞などで持続的発展が難しい世界状況ではimprovementの果たす役割はますます大きくなるだろう。そういうわけで、今ではimprovementが得意な国民性をむしろ誇りに思っている。ただ、科学者としてはinventionがやりたいわけでそこはアメリカに見習うべきところが多いと感じる。日本人は細部に目が行き届くが、度が過ぎると「無駄」となる。こちらでは、革新的な視点に基づいて実に大胆にデータが取られるが、このとき新しさゆえ細かいところはあまり気にされないのがすばらしい。また、こちらのメリハリのある生活は自身のこれまでの無駄に気付かせてくれる。創造的な仕事をするためには、それとは無関係のことで楽しめる時間が必要だということを再認識した。残された期間で、アメリカの研究スタイルを可能の限り吸収したい。